うさぎ島をロードバイクで散策|発電所跡&大久野島港

3.さざなみ海道

広島県竹原市、大久野島港の近くにある発電所跡。

村内で島最大規模の戦争遺跡で、当時の雰囲気を残しつつ、廃墟として迫力のある観光スポットです。

港の近くになるので、最初に巡ってもいいですし、最後に残しても構いません。

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大久野島|芸予要塞から毒ガス工場に転換した歴史

  • 明治時代、敵国戦艦の侵入をどう防ぐかは国防上の重要なテーマであり、全国各地に砲台が建設されていた。
  • 当時、カノン砲の射程が短く、豊後水道(九州~四国間)での防衛が難しいため、瀬戸内海で迎撃せざるをえなかった。
  • 芸予要塞の一部として、大久野島の全域(中部砲台・沿岸部の北部・南部砲台)に計3箇所22門が設置された。
  • 日露戦争後に、カノン砲の射程が改良されると芸予要塞の存在価値は薄れ、大久野島の砲台は廃止。

今では、毒ガス島のイメージが強いですが、それ以前は要塞を構築するための島でした。ある意味、カノン砲島とか砲台島と呼ばれていた歴史もあったかもしれません。

既に大半が陸軍用地、しかも孤島としての秘匿性により、要塞と入れ替わる形で1929年(昭和4年)に毒ガス工場「東京第二陸軍造兵火工廠忠海兵器製造所」が稼働しました。

敗戦までの16年間、毒ガスの生産・研究が続けられた土地。

大久野島|毒ガス製造を支えた発電所跡

今や我々の生活になくてはならない電力。

家電のコードをコンセントにさせば生活を豊かにしてくれるわけですが、もちろん「毒ガス製造」にも大きな電力が必要。

総生産量6,616t(25mプールの水量が約540t)という膨大な毒ガスを作るために、陸軍は重油を炊いてタービンを回するディーゼル発電所を建設しました。

  • 電力の需要は増え、稼働当初は240V発電機3台だったものが、1933年には3300V発電機3台を増設。翌年には2台を増設し、計8基態勢で工場を支えた。
  • 1941年には重油の入手難を想定(アメリカと対立したため輸入が停止)して、海底ケーブルを敷設し、本土からの電力供給も受けられる形に。
  • 1945年の終戦直前には、女子動員学徒による風船爆弾の製造も行なわれていた。
  • 戦後はGHQによる武装解除が行なわれ、発電機も撤去。
  • 朝鮮戦争時(1948年)には、アメリカ軍が弾薬庫として使用。
  • 建物は朽ち果てつつあり、倒壊の危険もあるため立入禁止。

化学戦の実態は秘匿されたため、1984年に報道されるまで知られることのない存在でした。

終戦後に資料が破棄されているため詳細は不明ですが、一説には合計2,000回の使用、9万人以上が殺傷されたともいわれています。

現在の管轄は環境省。現地は柵が巡らされており立入禁止です。

保存のための改修工事は一切行われていないので、いつ崩落してもおかしくありません。ただただ朽ち果てるのを待つ運命・・・。

原爆ドームのような戦争遺跡にならないのは、いささか残念ですが、いろいろな諸事情があるのでしょう。

コケのようにも見える外壁各所の不自然な模様は、戦時中の迷彩塗装の名残。

今はコンクリが露出していますが、当時は敵機に発見されないよう緑色の建物だったようです。

また、「MAG2」との表記は米軍が弾薬庫として使用した際に書いたもの。MAGとはマガジン、つまり弾倉を指します。

これも最初、心無い人間が落書きしたのかと思ってました(;´・ω・)

SNSやブログで、「中に入る場合は自己責任で」という免罪符を理由に、屋内を撮影している人がいます・・・。理由があり立入禁止されているわけですから、自己責任は全く関係ありません。

禁止と言われたら禁止です。もし、崩落に巻き込まれたら、税金を使って救助してもらうわけでしょ?「自己責任」なんて言葉になんの説得力もありません。

好奇心を理解できないわけではないですが、みなさんはくれぐれも危険な真似はしないようにしてください。

ハルクやハンコック(ウィルスミス主演)のような人がいたら、う~ん・・・自己責任でっ!!

「ニンゲンヨ、タチサレ」

そんな事する人間がいるから、森にいたウサギ神さまも大変ご立腹でした。あんまり怒らすとタタリ神になってしまうでっ!

この子、全然微動だにしなかったし、餌をチラつかせても、全く反応もしませんでした。ウサギの様態を持つ自然神かと思うぐらい。

トンネルを抜け、島を時計回りに回っていくと、船着き場の港に戻ります。

発電所と港は近くになるので、私は最後にしましたが、人によっては最初に訪問してもいいかもしれません。

うさぎ島を満喫!本州の忠海港に戻る

赤い桟橋の近くには待機所があるので、そこでフェリーを待ちます。

1時間に1本のペースなので、時刻は最初に調べておきましょう。私は2~3時間の予定が5時間も滞在しちゃいました。

ウサギが可愛くて、ついつい長居しちゃったのよ。

ウサギの赤ちゃんも沢山見られたし(ちょこんと香箱座りが可愛い)

耳を垂れ下げた丸ウサギも見られたし(このフォルム可愛すぎ)

食後に砂遊びするウサギも見られたし(伸ばしたアンヨが可愛い)

余は満足じゃ!

待ち時間やフェリーの中でも、撮影した写真をチェックしながらずっとニマニマしてました(*’ω’*)

さて、これからの予定はどうしようか・・・?

本来なら午前中に大久野島を巡り、その後はしまなみ海道の大三島(盛港)に渡る予定でした。

このまま帰るには、ちょっと早い。しまなみ海道を走るには、ちょっと遅い。そんな中途半端な時間帯。

まだ時間はあるから、三原名物のスイーツでも食べに行くかっ!

道の駅「みはら神明の里」の名物グルメ

2012年3月にオープンした比較的新しい道の駅。新国道2号沿い(車道のみ)にあり、いつ行っても人で賑わう場所。

ロードバイクや自転車の場合、三原市街地から山の斜面の坂道を登ることになります。

漁師と農家の台所「キッチン ルマーダ」

三原と言えば、昔からタコが有名。タコの天ぷら、たこ焼き、たこ飯のたこ三昧。

日替わり定食やソフトグリームもあるので、わざわざ立ち寄る価値はあります。海沿いなので当然ながら、海産物が美味しい。

三原名物|くりーむパンの八天堂

いまや全国的に有名になったであろう八天堂。昔、物産展で食べたときにはここまで人気になるとは想像できませんでした。

広島空港の近くには、八天堂の工場があり、カフェ・お土産屋・公園が併設されており、多くの人で賑わってます。

東野さん岡村さんの旅猿で、アンガールズ田中さんが八天堂を紹介してました。

くりーむパンは人によって評価がわかれるところ。パ

ン生地がベシャベシャなので、フワフワのパンケーキが好きな方にはちょっと合わないかも。

私は自転車のときにはよく買うかな・・・。しっとりしているから、喉につまらず糖分補給できます。

三原の特産品・お土産、野菜・弁当も販売中。

お弁当にも、タコが使わてれいる物が多くてオススメ。

展望エリアからは、三原市街が一望できます。

左手に見える山がヒルクライムコースのあった竜王山、更に奥側がうさぎ島のある位置。

三原は尾道からの距離も近く、アクセスも良いので、数泊の自転車旅行ならばポタリングに良い場所かと。

大久野島(うさぎ島、毒ガス島)を散策してみて

  • 広島県竹原市にある大久野島には、500羽以上のうさぎが放たれている。
  • 毒ガス島として多くの戦争遺跡が残り、平和学習の場でもある。
  • フェリーは1時間に1本程度。自転車込みで往復960円。
  • ウサギの餌はあったほうが楽しめる。ただし、餌付けのルールを守って。

さざなみ海道の道中にある忠海港。フェリーを利用すればうさぎ島に行けますし、さらに南下すれば、しまなみ海道のルートに合流可能。

忠海港から西側に進んだ場合は、とびしま海道、かきしま海道のルートとなります。

尾道~三原~竹原にかけては、コース設定が豊富なので、予定に合わせて色々と走ってみてください。

それでは、今回はここまで。
最後までブログを読んでくださり、ありがとうございました。

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